三遠南信 浜松旅と文化の会

三州街道【中馬の道】

忘れられたような道、 それが本来の「三州街道」だ。

 信州から三河への道は三州街道と呼ばれていた。三河からすれば伊那街道だ。ヨーロッパの駅名も行く先を表す。ヘルシンキという名の駅はロシヤのサンクトベテルブルグにあり、リヨン駅はパリにある。

  三河湾で取れた塩は、船で矢作川を上り足助に集められた。ここで馬に積み替えるため、荷を直した。それを塩直しと言った。中馬で運んだので中馬街道、運ばれたのが塩だから塩の道ともいう。なにやら幾通りにも呼び名があってややこしい。

  三州街道は、中山道の脇往還としても重要な役割を果たしてきた。表街道の中山道はいわば幕府の官道で、規則も厳しかったし、何事も公用荷物が優先されたから、物資の輸送にはこちらの方が便利だった。

  足助は物資の集散地として栄えた。いまでも問屋の隆盛を偲ばせる蔵屋敷が散見される。古い通りには、白壁の塗りごめ造りに、黒板の羽目といった風情のある商家が並ぶ。雑貨屋さんは金魚鉢など、ややレトロな品を扱っていて、骨董ではなく新品なところがよけいに懐かしさを募らせる。

 薬屋も自転車屋も、テレビのまだなかったころを彷彿させる。マンリン小路のゆるやかな坂を歩いていくと、軒の連なりが段差になっていて、そのリズム感が心地よい。

…つづく

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